経営者訪問 藤沢工業株式会社 藤沢時男 氏
訪問先 / 藤沢工業株式会社
代表者 / 代表取締役 藤沢 時男 氏
「たった1人、ゼロからのスタート」
今の状況なんぞ、何も怖くない!
25歳で独立したときは仕事も資金もない、わずか10坪の小屋と小さな溶接機1台、
自分の腕だけ信じて、まさに裸一貫、魂の創業!
創業以来、常に時代ニーズに応えたモノづくりを目指しています。
それは、ただ単にデザインにおいてだけでなく、製品の安定した性能、より高いクオリティをも満足させるものとなっています。
このスタンスが数々のヒット商品となり多くの人に受け入れられたのだと考えています。
時代の変化に対応できる体質づくり・切り替えができる会社に!
< 沿 革 >
1964年、岐阜市日野で「藤沢工業所」を創業、車両用部品の製造を開始。
1970年、法人組織に変更「藤沢工業株式会社」とする。
1983年、折りたたみチェアの製造を開始。
1984年、業務用チェアの製造を開始。
1985年、岐阜市日野東に日野橋工場を開設。
1992年、ミーティングチェア・ロビーチェアの製造を開始。
1994年、台湾工場と技術提携。同工場にて事務用チェアの製造を開始。
1995年、東京・大阪営業所を開設。「TOKIO」ブランドを立ち上げる。
1999年、各務原市蘇原北陽町に各務原工場・配送センターを開設。
2000年、広島出張所を開設。工場部門、ISO9001取得。
2001年、中国工場と技術提携、折りたたみチェアなど生産開始。
2003年、九州営業所を開設。
2008年、静岡営業所を開設。
経営の秘訣とは
「お客様が求めているものは何か?」を常に調査し、社内で検討し製品のデザイン化、製品の出来上がる過程において常にお客様を交え、お客様の意見に耳を傾け満足していただく製品を開発することを常に心がけています。
また、デザイン、品質、価格的にも十分にお客様が満足していただける製品作りを目指しています。
苦しい経験が今日のノウハウに
25歳で独立したときは、10坪の小屋に溶接機1台で車両部品・機械部品の溶接工場として、まさに裸一貫、一人でスタートしました。
創業当初は今日の仕事はあっても、明日の仕事はないといった不安定な状況で、安定した仕事はありませんでした。
昼は納品に追われるかたわら、受注先の確保のために営業に奔走し、夜は工場で溶接作業をするといった昼夜苦闘の日々が3~4年続きました。
「いつまでも下請けの部品だけではいけない」、「自社製品を作りたい」という思いが強くなっていきました。試行錯誤してついに自社製品を開発し、完成品として販売するようになりました。このころは従来からの木製品が主流の時代でしたがスチール製の脚立・稲掛け器などをオリジナル自社製品として企画から製造したところ大きなヒット商品となりました。
それからもモノづくりの難しさ、試行錯誤の連続でしたがその経験が今日のノウハウにつながっていると思います。
時代において流々、主力製品は多様な変化を遂げていますが現在のイス・テーブルの製造・販売にも永々培ったノウハウが引き継がれています。
経営者としてのキーワード
●常にお客様目線で物事を考える。
●社員が満足する会社作り。
●地域社会に貢献。
今後の展開
テーマは、めまぐるしく変化する経済状況において「スピード」が今後一層要求されています。
お客様の満足できる納期対応についてはより一層の効率化を図る。
当社の取扱いアイテムが椅子・テーブルで5,000点強、部材の管理までとなると数万点に及びます。
現在、コンピューター化によりお客様に近い形で対応できる仕組みづくりに取り組んでいる最中です。
逆風に立ち向う経営者にアドバイスを
不動産の下落、大手量販店の価格競争、デフレスパイラルに陥った今日の経済の中で、ものは売れません。われわれ製造業に対する顧客の要求は当然ローコストの商品開発です。また、安かろう悪かろうでもダメです。
【良い】品質・【良い】機能・【良い】デザイン・【安い】価格を備えた製品を開発すること、そしてお客様の納期に間に合わせることが製造業者の責任です。
時代の変化に対応できる体質づくり・頭の切り替えが重要です。
セミナー・ミーティングに柔軟に対応。 |
洗練されたオフィス空間を創りだします。 | |
木のぬくもりが気分をリフレッシュ。 | 各務原工場 |
編集後記
何気にいつも座っているイスが実は藤沢工業の製品である、日本中に世界にTOKIOブランドまたはOEM(相手先ブランド)としてたくさんのイス・テーブルが流通しているのです。
製造工程を見ていると真剣にモノづくりに取り組んでいることが感じられます。「こんなにまじめに作ってあるから丈夫でいいものができるんだ」「デザインや使いやすさが工夫されていて心地よく使えるイスだ」「リサイクルや環境にも配慮してあり、地球にやさしいモノづくりを心がけていますね」このような気持ちになる取材でした。
若いころから苦労されて事業をここまで成長させられた藤沢社長は、まさに日本の成長を支えてきた功労者です。
今の日本の生活はまだまだ幸せだ、まじめにどんな仕事でもやれば食べていける。贅沢できた時代と比較せず、コツコツと努力すればうまくいく。貧困だった日本の時代はみんな必死に生きてきた、その努力をしようではないか!藤沢社長に日本の本物のおやじさんを感じた取材でした。
『がんばれ、岐阜のモノづくり』と心の中でエールを送った取材でした。
ライター&インタビュワー:清水信勝・松本宰治・水井 太