経営者訪問 西濃印刷株式会社 河野俊昭 氏
訪問先 / 西濃印刷株式会社
代 表 / 代表取締役社長 河野 俊昭 氏
今回の訪問先は京町支部に在ります、西濃印刷株式会社 代表取締役社長 河野 俊昭氏にお話をお伺いしました。
川島:西濃印刷株式会社様は、今年で創業115年ということですが、社長様で何代目になられるのですか?
河野社長:社に残っている文献を調べますと私で9代目になります。
我が社は明治30年(1897)に大垣で設立されたわけですが、最初から株式会社として設立されました。これは当時かなりめずらしいことです。当然世襲制ではありません。ですから1、2年で交代した方もいるみたいですね。
設立時の資料もあるのですが、古い資料はあまり残っておりません。設立許可書には当時の農商務大臣である、大隈重信公の署名があります。戦時中はこれだけでも守って逃げていたのでしょうね。大切な資料です。
川島:河野社長様は1974年に西濃印刷に入社され、1987年に専務取締役に就任、そして1990年より現職の代表取締役社長に就任されて、約20年務められているわけですが、この印刷業界の20年の移り変わりはどう感じておられますでしょうか?
河野社長:ハードの面から申しますと、昭和40年頃から活版印刷から写植(オフセット印刷)、電算写植、DTP(パソコン入力)へと変わってきております。
中部未来博の時代には業界として、将来のマーケット規模の予想を15兆円産業と予測しておりましたが、現在、実際のところは約7兆円と大きく予想を下回っております。
印刷業界も他業界と同じように苦戦していますが、経済的負担の一つの原因に、かつて大量に導入されたオフセット輪転機があります。大量生産に対応すべく、当時各社がオフセット輪転機を導入していきましたが、これは非常に大きな輪転機を使い大量に印刷しますので現在の多品種小ロットには対応が難しく、倒産していったところも多いのです。ですので、現在は時代のニーズに合う多品種小ロットの印刷技術に移行しております。
ハードだけを追いかけると行き詰まってしまう、やはりソフトをどうするかが重要になってきています。特に現代はデジタル化が進み、それ故一層作り手の感性が問われるようになってきていると思います。
川島:河野社長様の休日の趣味や過ごし方はどうされておりますか?
河野社長:趣味はゴルフですね。学生時代は登山やスキーなどもしておりましたが、今はゴルフだけです。仕事で知り合った経営者の方に全国の名門ゴルフ場に連れて行ってもらいました。また、マナー等ゴルフでいろいろ勉強させてもらいました。特にわたしはせっかちな方で我慢を覚えましたね。ゴルフは自分との戦い、はやる気持ちをどう抑えるか、これを一番学びましたね。
川島:西濃印刷さんは地域密着型情報誌「a un」を発行されておられますが、苦労話などお聞かせ下さい。
河野社長:最初はアクティブGの方と地域の情報発信誌として何かできないかというところから始まりました。もう創刊して10年が経ちます。最初は岐阜市中心でしたが今では取材地域も広域になってきております。
大体このような雑誌は数年で廃刊になることが多いのですが、廃刊になるその理由の一つとして作り手の自己満足が誌面に出てしまい、読者との距離が離れてしまうことが挙げられます。当社としては「読者が求める情報を、常に読者の目線で」を心がけております。これを創刊して社員の感性が磨かれていることを実感しております。
先程も申しましたが、デジタル化が進む現在では、いかに心が伝えられるものづくりができるか、人の感性に訴えかけられるものづくりができるかが重要だと考えております。採用試験でも感性重視で採用しておりますし、入社してからも常に感性を磨くことを心がけるように社員に教育しております。
川島:本日はお忙しい中、有難うございました。
(インタビュー:川島 徹郎、撮影:清水 茂雄)
編集後記
今回は河野社長様に印刷業界についてお話を聞いた。この業界もIT化が進み急激なデジタル化の波が押し寄せている。しかしデジタル化が進めば進むほど、大切にしているのは人の温かみや人の感性だと話された。
今年、ミズタニバルブ工業株式会社 水谷社長様、株式会社ウィッシュ 長井社長様、西濃印刷株式会社 河野社長様の3名の方にお話を聞いた。業界は別々だが3名とも共通して、「大切にしているのは“ハート”だ」と話される。便利になればなるほど無機質や希薄感が生まれる。そこにどう温かみを持たすかを考えなければいけない。相手が何を望んでいるか、相手の身になって考えることの大切さを再認識した1年でした。
1年間有難うございました。
青年部会広報委員長 川島 徹郎